小熊全集が出たとき入れればよかったのに
小熊の本でなければ、誰も気に留めないだろうな。 ただ、小熊の一連の分厚い本に感動してきた人間にとっては、彼のルーツを知る楽しみはある。 ど・ち・ら・か・といえば表題にもなっている「市民と武装」が読ませる。「普遍という名のナショナリズム」は平板で弛緩してるぞ(書いたのは30歳くらいだろうが、それくらいの年齢でもっといいものを書く人はいるよ)。ただし、後の小熊の問題意識につながるのは後者だろうね。そういう意味では、小熊研究者というものがもし生まれたら、彼らには興味深い資料になるだろうな。没後に発掘されて、全集に入るというのが、本来の流れだったんじゃないかな。 でも、読んだことは後悔してないよ。
アメリカを知ってるのか?
アメリカを知らないな、というのが率直な感想だ。そして、これはアメリカのアカデミズムでは全く通用しないだろうな、とも思う。遠く離れた狭い島国のなかでゴチャゴチャと内輪で盛り上がるにはいいかもしれないが。 ネオコンが「グローバル化したモンロー主義」とか書いてあるが、モンロー主義とは「グローバル化しない」ことを指すので、全く違う。むしろジョセフ・ナイが綿密に分析しているようにタカ派のウィルソン主義に近い。多文化主義についても「安易なコメントは控えたい」と思考を放棄しているが、これはアメリカのナショナリズムを考える上では致命的ではないのか? もっと勉強して欲しい。
ウェルメイドなアメリカ研究
「よくできた」というのは誉め言葉だ。緻密にすぎ、袋小路に入りがちなアメリカ本の中にあって、本書は、アメリカの行動をその建国の理念にそって検証していくという明快なスタンスにたつことで、アメリカを理解するためのわかりやすい図式を提供している。大部な著作ではないので内容的には、アメリカ文化研究の導入にあたる部分にとどまるのが残念ではあるが、アメリカ理解の整理にはこれくらいの方がちょうどいいのかもしれない。もともとは若書きのものに手をくわえたものだそうだが、そうなると恐るべきは小熊英二であって、彼は生まれながらの教育的な文章家ではないかということになる。つまり、人をして読む悦びに誘いながら、国家理念や社会思想といった硬い概念の世界にどっぷりと浸らせるのである。アメリカに詳しくない人と詳しすぎる人はぜひ。
期待はずれ・・・
小熊氏がアメリカのナショナリズムを語るというので買ってみたが、正直、期待はずれだった。アメリカの銃問題の部分については、とにかくデータが少なく、しかも古い。ちょっと本や資料をまとめた程度で、先行研究や判例の解釈も断片的すぎる。ナショナリズムについては、日本のアメリカ研究者達がもっと緻密な議論を展開しているし、やはりネタが古い。言い古されてきたことを繰り返しているだけである。二次資料に頼ってばかりいないで、アメリカの議会図書館やアーカイブなどに足を運ぶなどして、本気でぶつかって欲しかった。院試用のエッセイの焼き直しを出版できるのは小熊氏の知名度をもってすれば可能だろうが、一部の小熊ファンだけ喜ばせていれば良いというものでもないだろう。『民主と愛国』と比べると明らかに手抜きだと思う。
さすが小熊英二!
〜小熊英二のアメリカ論が出るということで、楽しみに買って読みました。わが家夫婦はすっかり小熊ファンです。私は「普遍という名のナショナリズム」の方が『民主と愛国』などの一連の小熊本のルーツが感じられておもしろかったです(この辺は小熊氏もかいておられましたが)。 〜〜 読後、思ったよりも昔に書かれた論文であることに驚かされました。小熊英二の主張は多少昔に書かれたぐらいでは古さを感じないんですね。最近のニュース、新聞の論調や分析がやっと小熊に追いついてきたのかな? 〜〜 9.11テロからイラク戦争に突き進んだアメリカは、いまや分裂していない唯一の多民族国家なのだとはっとしました。そして、それを維持する多民族国家のイデオロギーの積み重ねが、民主的であれば軍事的でもある今のアメリカを形作っているということが少し理解できた気がして、私の「民主主義と武装権」について考えたくなりました。〜
慶應義塾大学出版会
インド日記―牛とコンピュータの国から 銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち 対話の回路―小熊英二対談集 〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性 単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜
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